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ども、藪似です。ごぶさたしております。
さてさて、みなさんは「宮川泰」ときいて、まず何を連想されますでしょうか。え、ご存じない?では今日のログをじっくりお読みいただければ・・・・余計何者なのかわからなくなるかもしれませんが。
宮川泰という人の仕事をざっくりいうと、作曲家です。一般的に一番有名なのは『宇宙戦艦ヤマト』ってことになるんでしょうか。モーヲタの方なら、今ダブルユーが歌っている『恋のバカンス』も、もともとはザ・ピーナッツの持ち歌で、作曲が宮川泰ということをご存じかもしれません。そうかと思えば『ウンジャラゲ』などクレージーキャッツにもいくつか提供していますし、またサザンの桑田佳祐に多大な影響をあたえたともいわれています。
これだけ幅広く活躍していれば、どうにも実態が掴みにくいのも当然です。しかも去年の紅白歌合戦では指揮棒さえ振っていたんですから。
わかりにくいといえば、名前もです。宮川泰と書いて<みやがわ ひろし>と読みます。これけっこう<みやがわ やすし>と思ってた人も多いはずです。
宮川泰ぐらいの年代の人になると、どうしても「作曲家は裏方」的な思考が強く、たまに指揮をしたりするぐらいは、ほとんど表に出たがらないのが通例です。しかし宮川泰は違います。とにかく出たがり。隙があればボケようとします。彼は関西人ですが、持って生まれた血がそうさせるのかもしれません。
少しクレージーキャッツの話になりますが、ピアノを担当していた石橋エータローが急病で倒れたことがありました。その時最初に白羽の矢がたったのが宮川泰といわれ、本人も相当悩んだそうですが、当時の渡辺プロ社長・渡辺晋に「お前には仕事があるだろう」と一喝されて断念したそうです。
彼の仕事とは、そう、ピーナッツのコンポーザーとしての仕事です。なにしろピーナツがデビューして以来、いやデビュー前から彼女たちにつきっきりで指導&曲のアレンジをしてきたんですから、まぁいえば宮川泰とピーナッツは一心同体といってもいいぐらいです。
(ちなみに石橋エータローのピンチヒッターに抜擢されたのが桜井センリで、石橋エータロー復帰後もクレージーに残りました)
ともあれ、クレージーに入ろうと思ったぐらいギャグ好きの宮川泰ですが、若い頃からその腕は相当なものだったようです。
これは以前書いたことですが、音を一回聴いただけで譜面に起こすことができたそうです。そんな能力からか、はじめは作曲家としてよりアレンジャーとしての仕事が多く、ピーナッツの初期の楽曲がカバーが多いのは、そんな理由もあったように思います。
だからといって作曲家としての能力がないかといえばそんなことはないわけですが、この人のメロディは完全にアレンジと引っ付いており、別々に語るのはたやすいことではないのです。
そんなアレンジャー+作曲家としての宮川泰の最高傑作は、文句なしに『ゲバゲバ90分』の音楽でしょう。数年前、貴重なサントラがCD化されましたが、メインテーマだけでなくCDに収録されている様々な楽曲が、今でもしつこいぐらいにいろんな番組のBGMとして使われているんです。
この『ゲバゲバ90分』のサントラを聴くと、この人がどれほど幅広い音楽に精通しているか、またそれらを完全に自分のものにしているかがよくわかっていただけると思います。マーチやセレナーデのようなクラシック調のものから、R&B調まで、メロディはどれもおんなじなのに、まったく違った曲に聴こえてしまう。これこそ宮川泰という人のすごさなんです。
最近ではバラエティ番組で専属の音楽を用意することはマレで、それこそ『ゲバゲバ』をはじめとする既存のBGMを流用しています。これは<音楽がまったく重要視されていない>という意味で、本当は悲しむべき問題なのですが、まぁ『ゲバゲバ』のサントラを聴けば致し方ないかな、と思ってしまう。
だって、これ超えるの、大変だよ。生半可な能力と労力じゃ到底『ゲバゲバ』の足下にも及ばないもんね。だったら・・・と考えるのも無理はないかもしれません。予算も安くつくし。
でもそれって結局既存のソフトを食い荒らしているだけなんだけどね。
なんだか話がそれましたが、アタシにとって宮川泰は実に重要な作曲家なんです。
なぜなら<服部良一→三木鶏郎>ラインに位置する人だと思っているから。この系列の人はみんな好きです。その志とか含めてね。さらに個人的には、人脈的には何のつながりもないけど、それこそリー<スクラッチ>ペリーがいると思うし。
また脱線しかけてるんで、今日はこの辺で。ではでは
あいもかわらず2ちゃんねるで大人気のあ○る優(書いてもいいと思うけど、検索でこられるのがイヤなんで)ですが、こういう時事ネタの茶化しでこそ威力を発揮するというかね。
いろいろそれ関連のスレがたっているけど、一番笑ったのが、レトロゲーム板にたってた「あ○る優の倉庫番」ての。うーん、なんか知らんがひさしぶりに倉庫番がやりたくなってきたぜ。
今日はフォークルこと、ザ・フォーク・クルセダーズの話でおま。
たぶんみなさんも一度は『帰ってきたヨッパライ』という変テコな歌を聴いたことがあると思いますが、これを歌ってたのがザ・フォーク・クルセダーズというグループです。
簡単に略歴を紹介すると
結成は1965年。メンバーは現在もミュージシャンとして活動している加藤和彦、精神科医になった北山修、それに平沼義男、井村幹生、芦田雅喜の計5名のフォークグループでした。
1967年に解散記念で自主制作した『ハレンチ』というアルバムの中の一曲が『帰ってきたヨッパライ』で、この曲がラジオで(今でいうところの)ヘビーローテーションになり、加藤、北山にはしだのりひこを加えた3人で再結成しメジャーデビューしました。
ところがメジャー活動からわずか1年足らずで再び解散してしまいます。
にもかかわらず印象が強烈なのは、もちろん『帰ってきたヨッパライ』のせいもありますが、あまりにも濃縮された活躍ぶりだったためです。
なにしろ『悲しくてやりきれない』といった現在のスタンダードナンバーになっているものから、叙情あふれる美しい反戦歌『戦争は知らない』、発売禁止になったものの、今また『パッチギ!』公開で話題になっている『イムジン河』、変名(ザ・ズートルビー(ちなみに山田隆夫のいた『ずうとるび』とは無関係))で発表した『水虫の唄』など、これでもかといわんばかりの名曲のオンパレード。
しかもこの期間に、大島渚が監督、自らが主演した『帰ってきたヨッパライ』(1968 松竹)まで公開されているのです。
さて
実際にフォークルの曲を聴いていると、なんともいえないトリップ感におそわれるのです。これだけ時代の寵児だったにもかかわらず、一切古臭さを感じさせないどころか、「これっていったい、いつの時代の曲だったっけ?」とわからなくなるのです。
メンバーのひとりである加藤和彦はのちに、サディスティック・ミカ・バンドを結成し、『タイムマシンにおねがい』という佳曲をつくっています。この曲の雰囲気をまるまる再現して、ビートルズのパロディをまぶしたのが、奥田民生がパフィーに提供した一連の楽曲ですが、パフィーの曲が今聴いても古臭くないのは、『タイムマシンにおねがい』が古びないからであり、つまるところ加藤和彦が常に時代を超越したものがつくれるという、並々ならぬバランス感覚の持ち主だから、だともいえます。
なぜそこまでのバランス感覚を発揮できるか、それはフォークル時代の曲を聴けばもっとよくわかります。
いくつかのアルバムの曲目リストをみれば「何でこんなの歌ってんだ」みたいなものが混じっています。『ひょっこりひょうたん島』であったり、『ゲ・ゲ・ゲの鬼太郎』であったり、『山羊さんゆうびん』であったり。
カバーするにしても、たとえば当時の風潮からすればPPM(ピーター・ポール・
アンド・マリー)なんかだったらわかるけど、子供向けというか、童謡に近いものばりとりあげているのはどういうわけだろう、と。
しかしね、これが実際に聴いてみると実に納得できるのですよ。とくに斬新な解釈があるわけじゃない。むしろなんのてらいもなく歌ってるぐらい。でもどの曲もみごとに「フォークルの持ち歌」になっているんです。あんまりカバーってことを感じさせない。
とはいえやっぱ疑念はわいてくるもんで、そもそもなんでこんな曲ばかりカバーする気になったのか。アタシの見立てによれば、これは計算じゃないんと思うんです。じゃあ天然かといえばそれも違う。
ようは「遊び感覚」だったんじゃないかとね。
その後も個々で活動しているとはいえ、グループとしてはたった9ヶ月のメジャー活動。その間にさまざまな波にもまれながらも、芸能界とフィールドで遊べるだけ遊んでやれ!という気持ちの方が強かったんじゃないでしょうか。
映画版『帰ってきたヨッパライ』の大島渚はフォークルの指名だったといいます。よりによって大島渚を指名するのは、「映画で一山当てよう」なんて意志のない、なによりの証です。
(当然ですが、今とは大島渚の立場が違います。当時は大島渚といえば前衛的で、映画会社からみれば危険な存在と目されていた時代です。しかも『帰ってきたヨッパライ』を制作した松竹とは過去にケンカして飛び出したという過去まであります)
自由に、本当に自分たちのやりたいことだけをやって、あっさり解散したフォークルをみていると、これが芸能界との正しい接点の持ち方なのかな、とすら思ってしまいます。もちろんそれ相当の才能がなければ絶対できないことなんですけどね。
以上です、キャップ。ではでは
こんばんは、藪似です。疲れのあまり、いつのまにか寝てしまいました。お陰様でリフレッシュできましたので、少しばかりフンドシを締め直していきたいと思います。
今日は和田アキ子のことなんぞを。
けっこうふつうの会話の中で「和田アキ子は歌が巧いのかヘタなのか」という議論がされていますが(←そういうことにしておいてください)、アタシはずばり「巧い」と思っています。正確には「上手い」と書いた方がいいんでしょうが。
この人の音域の狭さや、ピッチ(音程)の不安定さは、今更言及するまでもありません。しかもハ行をやたらと強調した歌い回し。これらはほぼ坂本九と共通する部分です。
しかしですね、「坂本九の歌は酷くて」などという人はいないでしょう。だって坂本九は坂本九の世界を完璧に構築していて、しかもすでに故人なので、まわりがさわりようがないからです。
その点和田アキ子はさわりやすい。生きているってのももちろんあるけど、一般の人からみれば、あくまでバラエティタレントですし、つっこまれやすいことも度々いっている。結果「エラそうなことをいってるけど、たいして歌うまくないじゃん」となってしまうのではないかと。
別に和田アキ子を弁護するわけじゃないけど、たしかにピッチは悪いけど、リズム感はさほど悪くない。そうなるとピッチの悪さも武器になって、さらに声の魅力と相まって、余計にソウルフルに聴こえてしまうんです。
実は和田アキ子って、けっこう幅広い歌手ですよ。声が中性的でしょ。だから恋愛の歌をうたっても臭みがないし、スケールの大きなバラードから、ホームソングのたぐいもうたえる。でもそう思っている人は少なそうですね。
和田アキ子といえば『元祖R&Bの女王』ですが、初期のR&B歌謡はどれもすばらしい。はっきりいって楽曲的には全然安定していないのですが、不出来な楽曲でも和田アキ子の魅力で成立させている場合が多いんです。
オリジナルでズバ抜けているのは、やっぱり『どしゃ降りの雨の中で』と『あの鐘を鳴らすのはあなた』ですね。デビュー2枚目の『ボーイ・アンド・ガール』とか、例の「ハッ!」というヴォイスをフィーチャーした『古い日記』もいいけど、『どしゃ降りの雨の中で』と『あの鐘を鳴らすのはあなた』の音のクオリティの高さは「日本でもここまでの音がつくれるんだ!」といった意地のようなものすら感じます。
しかしオリジナルに限らないのであれば『DYNAMITE SOUL WADA AKIKO』に収録されている『スピニングホイール』と『黒い炎』(ともにライブ盤)は圧巻の一言です。これだけ「イヤー!」「オーライ!」が様になる人はそうはいない。ふつうならこういったアドリブはもうちょっと浮いてしまうものなんだけどね。
とくにこれらのカバー曲を聴くとよくわかるんだけど、どれも完全に「和田アキ子の世界」をつくりあげているんですよ。まるでオリジナルにすら聴こえてしまう。
カバーですらこうなんだから、オリジナル曲に至っては、もう和田アキ子がうたわないと意味がないとすら思わせる。
こないだの千昌夫の話じゃないけど、カラオケで和田アキ子の曲をうたう時は、完全に物真似、いや物真似というより和田アキ子になりきらないと、まわりは聴いていられない。間違っても『古い日記』の「ハッ!」で照れたりしちゃいけません。まるで表現できない何かをすべて「ハッ!」に託すつもりで叫んでみてください。
きっと悩みなど吹っ飛ぶと思いますよ。
あれ?何について書いてるんだっけ。まぁいいか。ではでは
突然気が違ったのかと思われるでしょうが、ハイ、そうです。今日はタイトルの通り千昌夫についてです。
といってもマジメに千昌夫について語る気などさらさらありませんのでご安心を。
千昌夫といえばコロッケです。違いますけどコロッケです。今やそれぐらい同一視されているわけですが、コロッケによって千昌夫の物真似はメジャーになり、もはや男性なら誰でも真似ができるといっても過言ではありません。
どれぐらい誰でもできるのかといえば、男性でいえば森田健作(「オォ!ヨォシカワコーン!)、女性なら薬師丸ひろ子(「コンバンハ、ヨクシマルアソコです」←鶴光ネタ)ぐらい誰でもできます。
アタシも一時期、千昌夫の物真似にハマったことがありました。もう朝から晩までやってました。吉幾三との違いもわかってもらえるようになるぐらいまで練習しました。いや、練習とは違うな。とにかくやってて楽しいのです。これだけありがちな物真似なのに。
なぜそんなに楽しいのかといえば、まず先ほどもいったように「簡単に似せることができる」というのがあります。当然声帯模写ですが、凝ってくると扮装もしたくなってきます。しかしこれも簡単で、ヨレヨレのコートを着て、オデコにでっかいホクロを書けば十分です。さらにロン毛の方なら、ゴムで後ろをくくるとさらに「らしく」なります。
レパートリーはもちろん『味噌汁の詩』です。もうこれしかありません。千昌夫には他にも『北国の春』とか『星影のワルツ』などのヒット曲がありますが、『味噌汁の詩』ほど、千昌夫の魅力のすべてがわかる曲は他にないのですから。
さてさて
『味噌汁の詩』の歌詞についてですが、おそらくかなりの数の人が勘違いをしてるのではないかと思います。出だしをちょっとだけ書かせてもらうと
「♪あの人この人ガイジンだってぇ」
実はこれは間違いです。正解は「ガイジン」ではなく「大臣」です。
「え?元の嫁さんがガイジンだったから、てっきり・・・」
という人は多いでしょう。
ただ『味噌汁の詩』のすごいところは、ちゃんと「(当時の)嫁さんがガイジン」だということも示唆されています。それがこの曲のすごいところなんです。
作詞・作曲は中山大三郎。歌詞を読んでると、この人ホントに天才なんじゃないかしらと思ってしまいます。こんだけ千昌夫にぴったりで笑える歌詞は他にありません。何しろ「しばれるねぇ!」から始まるんですよ。それもセリフで。
アタシもちゃんと聴いたことがないので不確かなんですが、たぶん「ぶるるるる!」とはいっていないと思います。もしかしたらいったことがあるのかもしれませんが。これはコロッケの物真似の弊害といえるでしょう。
しかもこんなとんでもない歌詞の内容なのに、曲調はマイナー。すごすぎます。リスペクト大三郎!
ああ、しかししかし!
ここに歌詞全文をここに書くわけにいかないのが残念でなりません。どうしても天才・中山大三朗のすごさが気になる方は
『歌ネット』に登録して読んでみてください。もうホントに「シッポまでアンコ」状態ですから。ちなみに「歌い出し」から「ぶるるるる」で検索しても引っかかりません。あたりまえですが。
話を物真似に戻します。
物真似で『味噌汁の詩』を歌う時のポイントはサビの部分でしょう。ところがこれが練習を重ねる度に何をいってるのかわからなくなってくるのです。最初はわりと歌詞が聴き取れるように歌っているのですが、もう途中から
「♪わぁすでただだでぇ〜えぇこころえけぇ〜」
こんな感じになってしまいます。
そして何といっても、ラストの「かっちゃ〜んっ!」です。歌詞は「かあちゃん」ですが「かっちゃ〜んっ!」で問題ありません。さぁみなさんも、恥も外聞も捨てて、全身全霊のソウルを込めて、思いっきりシャウトしてください。
準備はいいですか?ではいきますよ。
「かっちゃ〜んっ!!!」
(↑最近こんな終わり方ばっか)
もし≪天才ヴォーカリスト≫をひとりだけ定義しろといわれれば、アタシは迷わず弘田三枝子を押します。そして同時に≪永遠に天才で居続けることは不可能である≫ということを付け加えておきたいなと。
天才は各業種にいます。漫画界なら手塚治虫だったり、映画界でいえば黒澤明だったり。しかし手塚治虫も黒澤明も終生天才だったわけじゃありません。おそらくふたりとも昭和40年以降はその才能を燃焼しつくしており、いわば出がらし状態だったのはその作品群をみてもあきらかです。もちろん出がらし状態であるにもかかわらず、ヒット作を生みだし、ある程度のクオリティを保てたのはその天才ぶりがいかに際だっていたかの証明でしょう。
しかし弘田三枝子の場合、その才能は幼くして完全に燃え尽き、出がらしさえほとんどなかったといい切ってしまえます。そもそも手塚や黒澤のように頭脳労働ではなく肉体労働の彼女を同列に語るのはどうかと思いますし、そりゃ衰えて当たり前なんですけど、それにしても「枯れた味わい」さえほとんど感じない現在の彼女の存在は残酷であるとしかいえません。
弘田三枝子を見出した、名プロデューサーである草野浩二が「巧すぎて売れないかもしれない」とすら危惧した彼女のデビュー時の歌唱力は、今聴いても燦然と輝いており、声量といい華やかさといい「もうどこもいじる必要がない」とすら思わされます。日本のポップス界は彼女を見出すために形成されていった、といっても少しもオーバーな表現ではないと思いますし、同時期の新人ヴォーカリストと比べてもそれほどの差を感じます。
『天才の陰に名伯楽あり』というのがアタシの持論ですが、弘田三枝子の天才を支えたのは漣健児こと草野昌一です。彼は父親が創業した新興楽譜出版社(現在のシンコーミュージック)が発行する『ミュージックライフ』の編集長をする傍ら、多くの洋楽ポップスの和訳詩を手がけています。
漣健児いわく、自分のやってることは訳詞ではなくアダプテーションであるとのことです。英語詩をただ訳するのではなく、日本のポップス界に合うように、そして歌い手に合うようにアダプテーションするという意味です。
初期の弘田三枝子にはオリジナル楽曲がほとんどなく、そうなってくると選曲と訳詞が大きなポイントになってくるのですが、漣健児の歌詞はまさに弘田三枝子にアダプテーションされ、ややをもすると<巧すぎて嫌味になってしまう>彼女にコミカルさを持たせることによって、うまくスポイルしていることに気づかされるのです。
漣健児が手がけた中でも、デビュー曲である『子供じゃないの』や『砂に消えた涙』は傑作で、あっさりした原曲に華麗な色づけをすることに成功しています。
さて
これはよくあることですが、名伯楽であった漣健児との蜜月期こそが弘田三枝子の絶頂期であり、それ以降、たとえば『人形の家』などでヒットを飛ばしてはいますが、今聴くとあまりおもしろいシロモノではないのです。むしろ≪天才の輝き≫が消えていることへの絶望を大きく持ってしまうのです。
彼女を天才から墜落させたもの、さんざん語られていることではありますが、大きな理由は2つでしょう。
ひとつは器量の問題。アタシは当時の写真を見てもポチャポチャしててかわいいと思うのですが、たぶん本人にとってそのコンプレックスは半端なものではなかったのではないかと想像できます。でなければあれだけ極端なダイエットであったり、何度も整形手術を試みたりはしないでしょう。残念ながら現在の彼女から≪枯れた味わい≫がないのは、これに起因するのは間違いないでしょう。
もうひとつ、弘田三枝子はデビュー時から弱小プロダクションに所属しており、しかも絶頂期の最中に個人事務所をつくって独立しています。これが成功だったのかどうかは定かではありませんが、結果的に仕事の幅を狭めることになったことは想像に難くありません。
当時の彼女の仕事はステージとレコード、そしてわずかなテレビ出演に限られており、もっと大きな仕事、たとえばまだ勢いのあった映画界に進出することはありませんでした。フィルモグラフィをみても、天才の名にふさわしくないほどの数しか映画にでていないのです。
ときどきアタシは夢想をしてしまうのです。もし弘田三枝子が音楽映画を得意とした東宝あたりでまともな主演映画を撮っていたら、どんなになったろうって。
まぁアタシのくだらない夢想はさておき
金銭的にはもちろん、仕事や方向性もある程度自分の思いのままになるところは個人事務所の利点でしょう。しかし「マズい方向」に行きかけてもストップをかけてくれる人がいないのはマイナスなわけでして。
デビュー曲から順を追って聴いていくと、どんどんつまらないアクがでてくるのに気づきます。いや、デビュー曲からしてケレン味の強さは彼女の持ち味としてあったのですが、途中からそのケレン味が半端じゃなくなってくる。もうあざといとかというレベルじゃなくなってくるんです。
誰かストップをかけられなかったのかな。それこそ漣健児とかが。
そんなことをしているうちに突然「日本のアレサ・フランクリンになる」と宣言(それ自体はそれほどマズいことじゃないと思うけど)したかと思えば、歌謡曲に転身、とどうしようもない迷走にハマってしまうのですが、この辺になってくるとアタシもまったく興味がなくなります。アタシが興味があるのは、洋楽ポップスのカバーを歌っていた頃の弘田三枝子だけなんです。
それはほんの一時期だったかもしれないけど、洋楽ポップスのカバーをしていた頃の弘田三枝子は紛れもない天才であり、その事実はレコードを聴いたもの、すべてを説き伏せるだけのものがあると思うのです。
今日はちょっと内容が硬かったな。すんません。ではでは
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